北海道と樺太間の電話通信は、海底ケーブルでつないでいました。
昭和9~39年の30年間、猿払村浜猿払は陸揚地の中継地点でした。
直線距離では稚内市の方が近いですが、潮の流れなどで猿払村浜猿払が中継地点に選ばれたようです。
第二次世界大戦敗戦後、昭和20年8月20日の真岡事件の際、猿払電話中継所では自決した真岡郵便局の電話交換手の最後のメッセージを受信しました。
亡くなった電話交換手の鎮魂と、電気通信の功績を後世に伝えています。
“日本最北の村”、北海道さるふつ村観光ポータルサイト。